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鹿児島地方裁判所 昭和61年(わ)32号 判決

主文

被告人Aを懲役三年に、

被告人Bを懲役二年に、

被告人Cを懲役二年六月に、

それぞれ処する。

この裁判の確定した日から、被告人Bに対し三年間、被告人Cに対し四年間、それぞれの刑の執行を猶予する。

理由

第一被告人らの身上経歴

一被告人Aの身上経歴

被告人Aは、昭和二八年に東京大学法学部政治学科を卒業して株式会社協和銀行に入行し、同行新宿支店、本社業務部等を経て、昭和四四年に千葉県○○支店長に就任したが、父甲夫が組合長をしていた鹿児島市農業協同組合(以下市農協ともいう。)の理事らの働きかけがあつて、昭和四六年一〇月ころ、協和銀行を退職して鹿児島市に帰り、同月末ころ、市農協の専務理事となつた。同被告人の専務就任は同被告人の経営手腕を生かし、市農協の中核的存在として働き、将来は組合長の跡継ぎになってもらいたいという要請によるものであつた。同被告人は、右のような経緯で専務理事になつたことに加え、父が組合長であり、常務理事が父の従兄弟であつたこともあつて、市農協の運営全般にわたつて次第に強大な権力を持つに至つた。

二被告人Bの身上経歴

被告人Bは、昭和二八年に鹿児島実業高校を卒業して同年に市農協に入り、支店や本店勤務などを経て、市農協本部管理課長代理、同課長となり、昭和五三年四月には本部審査部管理担当次長となり、その後昭和五五年二月審査部の審査課と管理課が統合されて、審査部全体の次長となり、担保不動産の調査、評価など貸付業務を統括し、あるいは自らも担当していた(なお、本件融資の途中である昭和五八年四月に審査部長に昇格し、本件融資後である昭和五九年二月には特別対策室が設置され、同室長を兼務するようになつた)。同被告人は、前記のように昭和五六年当時は審査部次長であり、同審査部には上司に審査部長がいたが、同被告人は被告人Aから信頼されていたこともあつて、市農協の運営においては上司の審査部長を通さず直接被告人Aと相談し、あるいはまた、被告人Aも直接同Bに指示するなどしてその職務を行わしめるまでに至つていた。

三被告人Cの身上経歴

被告人Cは、昭和四三年に上智大学を卒業し、約二か月間印刷会社に働いた後、父の経営する土建会社である△△建設に入社し、昭和五〇年には同社の代表取締役となつた。同社は土建業を主体にしていたところ、同被告人は、同社とは別に不動産売買、宅地造成等を目的とした△△商事株式会社(以下△△商事ともいう。)を設立して同社の代表取締役も兼ねるようになつた。

第二本件犯行に至る経緯

一最初の融資と△△建設の倒産

被告人Cは、昭和五四年ころになって、海外のエビの養殖に投資したことなどで資金繰りに窮するようになり、取引銀行からも信用を失い相手にされなくなつた。そこで、同年四月ころ、市農協から融資を受けるべく、国会議員を介して被告人Aに接近して同被告人に融資を頼み、同年五月に二億円の融資を受け、これを契機に被告人Aと知り合つた。被告人Cは、その後も数回被告人Aに融資を頼み込み、同年七月に三〇〇〇万円、八月に五〇〇〇万円と借り受けたが、結局、約三八億円の負債を残して昭和五四年一〇月二四日△△建設は倒産し、被告人Cが代表取締役をしていた△△商事も同様倒産状態に陥つた。

二姶良△△ハイツ宅地造成事業に対する融資

被告人Cは、前記のように、△△建設を倒産させた後は金融を得ることができなかつたため、日本ハウス株式会社のD会長の援助により、市農協から金融を得る目的で昭和五四年一〇月二六日新しく大東殖産株式会社を設立し、さつそく、同年一一月一〇日から翌五五年一月二九日までの間市農協から二億六〇〇〇万円の融資を受けた。この融資は貯金を担保にしたもので特に問題はなかつた。

ところが、これより先である昭和五四年四月二一日に市農協が一二三総業株式会社の社長Eに二億一〇〇〇万円を融資したところ(これは市農協が管理していた柚木病院の別段貯金二億五〇〇〇万円を担保にしたもの)、同社長がこれを被告人Cに融資し、同被告人は前記のとおり倒産したことからこれを回収することが困難となつたため、困惑した市農協はこれを回収する目的で、被告人Cが既に手がけていた姶良△△ハイツ宅地造成事業を継続させるということで同被告人に融資し、これをE社長に返済させることとし、昭和五五年二月七日二億二〇〇〇万円を被告人Cに融資し、同日右二億二〇〇〇万円をE社長が担保に入れていた柚木病院の別段貯金に振替入金させ、さらに、その後も被告人Cに対する融資は続けられた。

右融資は、被告人Cが△△建設を倒産させて四か月経たばかりであり、造成予定地を担保に取つたものの、担保価値が乏しく、また、買収も完了していないことなどで部内に反対の意見もあつたが、結局、被告人Aの決断で融資は実行された。しかしながら、右姶良△△ハイツ宅地造成事業は、その後も用地買収が進まず、採算性にも疑問が生じたことから、昭和五六年六月には融資を中止することとなり、その後は保安上必要な工事費のみを融資した。結局、被告人Cに対する融資は昭和五六年一二月二九日まで続けられたが、同日現在における被告人Cの市農協に対する累積債務は六億八九二九万一二〇〇円に及び、回収の見込みはなかつた。

三被告人らの交際状況

被告人Cは、前記のように、昭和五四年四月ころ、国会議員を介して被告人Aと知り合い、その後も被告人Cは市農協から金融を得るために被告人Aに取り入るようになり、昭和五六年七月一八日ころ及び同年八月二二日ころの二回にわたつて、ルーレットなどの博打をするために被告人Aらと韓国に行つた際、被告人Aの旅費及び賭金の一部を負担したり、あるいは、ゴルフの実力は被告人Aが上手であり、賭ければ同被告人が勝つことに決まつているのに、昭和五五年一二月から同五六年二月にかけて賭けゴルフをして同被告人に多額の金を支払うなどして同被告人の歓心を買い、更には、○○自動車学校のFが市農協から融資を受け、被告人CがFと提携して行つたいわゆる雀が宮宅造事業において、被告人Aに世話になつたとして、同被告人に対し、昭和五六年二月二〇日ころ二〇〇〇万円、同年七月一七日ころ一二〇〇万円合計三二〇〇万円を贈与するなどして、被告人Cは次第に同Aに接近して行つた。

なお、被告人Cは、被告人Bに対しても同様に世話になつたとして、昭和五五年一二月九日ころに二〇〇万円、同五六年二月二五日ころに三〇〇万円、同年七月二〇日ころに二〇〇万円合計七〇〇万円を贈与した。

四いわゆる東高校下宅造事業の当初の計画

東高校下宅造事業は、当初不動産業者Gが手掛けたものであり、同人は周辺の土地を買収して宅造業者に売却する予定であつた。ところが資金がなかつたことから、昭和五六年六月ころ、この買収計画を被告人Cに持ちかけた。しかし、被告人Cも前記のように△△建設を倒産させており、また、市農協から融資を受けて行つていた前記姶良△△ハイツ宅造事業も順調でなく、間もなく融資を中止されるという状況であつたことから、資金力のある○○自動車学校のF社長に相談し、同社長が事業主体として市農協から融資を受けることとなり、同年八月二五日市農協から二九〇〇万円の融資を受けた。ところが、同社長が同年九月一〇日急死したため、右事業は継続が困難な状態に陥つた。そのため被告人C及びGは、国分市の中馬建設、都城市の百貨店経営者、日南市の建設業者、西日本ハウジング、積水ハウス、野村不動産にそれぞれ土地買収を頼んだが、いずれもこれを断わられた。そこで、被告人Cは前記のように被告人Aらに取り入つていたこともあつて、自ら市農協より融資を受けていわゆる東高校下宅造事業を行うことを決意するに至つた。

第三罪となるべき事実

被告人Aは、鹿児島市泉町一番二一号鹿児島市農業協同組合の専務理事として、被告人Bは、同組合の審査部次長として、それぞれ同組合の組合員に対する資金の貸付等の業務に従事していたもの、被告人Cは、△△商事株式会社の代表取締役として、不動産の売買等の事業を営んでいたものであるが、被告人A及び同Bにおいて、市農協の組合員に資金を貸付けるにあたつては、農業協同組合法、同組合の定款、貸出金事務規程等を遵守し、申込人の人物、能力、資産、負債の状況その他の信用状態および将来性ならびに組合との取引状況、申込金額の妥当性および返済の確実性等を検討し、さらに、不動産等の担保を評価するにあたつては、実勢に基づく適正な評価をなし、貸付金額に見合つた確実で十分な担保の徴求をするなど同組合の債権保全に万全の措置を講じ、業務を誠実に遂行すべき任務を負つていたところ、被告人Cにおいて、昭和五六年一一月ころ、市農協に対し、いわゆる東高校下宅地造成計画を立て、鹿児島市坂元町所在の山林等を担保物件として素地買収費、工事費等合計約一三億円の融資を依頼したが、同被告人は、既に姶良△△ハイツ宅地造成事業で市農協に対する六億円余を未払のまま焦げ付かせており、右担保物件として提供された物件も山林や傾斜地で担保価値が乏しく、右事業の採算性にも多大の疑問があり、これを貸付ければ回収不可能となり、市農協に対し多額の損害を加えることになることを知りながら、被告人Aに対し貸付を慫慂したところ、被告人Aにおいても右事情を知りながら同Cの右申込みに応ずる決意をし、被告人Bに対し、貸付けの方向で検討するよう指示し、同被告人もこれに応じて被告人Cに貸付けることを決意し、ここにおいて、被告人ら三名は、共謀のうえ、被告人Cの利益を図る目的をもつて、被告人A及び同Bにおいて、自らあるいは部下職員に指示するなどして、別紙貸付一覧表のとおり、同五七年一月二一日から同五八年六月二二日までの間、前記鹿児島市農協において、前後一七回にわたつて、前記任務に背き確実で十分な担保を徴せずに、別紙貸付一覧表の貸付先欄記載のH(前記△△商事の従業員)、I(被告人Cの妻)、J(同会社の従業員)らの貸付先名義を用いて、被告人Cに対し、所定の貸付限度額を超えて合計五億八三五〇万円を、貸主を同市農協として貸付け、その回収を不能の状態に陥らせ、もつて、同市農協に対し、同額の財産上の損害を加えたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定についての補足説明)

弁護人らは、被告人らには被告人Cの利益を図り市農協に損害を加える目的はなかつたこと、東高校下宅造事業は採算性のあるものであつたこと、市農協は都市型農協としての特殊性から、他の金融機関と競業関係にあり、他の金融機関より劣位にある市農協としては、貸出金事務規程は弾力的に運用せざるを得ない状況にあり、従来も厳格には運用されていなかつたこと、担保の徴求も宅造事業の場合は宅造予定地を担保に取る程度でそれ以上は要求しないというのが従来の慣例であり、本件の貸出は通常の貸出と何ら異なるところはないから、被告人らに任務の違背はなく無罪である旨主張するので、事実認定上の主要な争点について補足説明する。

一被告人らの図利、加害目的について

被告人Cの検察官に対する昭和六一年一月二四日付供述調書によると、同被告人は昭和五四年一〇月ころ、約三八億円の負債を残して△△建設を倒産させ、同五六年六月ころには、姶良△△ハイツ宅造事業において、市農協に対し六億円余を未払のまま焦げつかせており、被告人Aの検察官に対する昭和六一年一月二七日付供述調書、被告人Bの検察官に対する同月二八日付供述調書によると、被告人A及び同Bとも右の各事情は知悉していたことが認められ、また、後記認定のとおり、被告人Cから徴求した担保は極めて不十分なものであつたのであるから、右事実からだけでも被告人Cに対する貸付が極めて危険であることは明らかである。加えて、関係各証拠によると、昭和五六年一二月には、K常務、L審査部長、M審査課長、N次長、Q本店長のほか被告人Bも加わつた合議において、多くの問題点が指摘されて全会一致で本件の融資は不相当であるとの結論に達し(従つて、被告人Bもその融資の危険性については十分認識していたものである)、これは直ちに被告人Aに報告されていることが認められ、さらには、当時市農協において、資金がだぶついてこれを運用する必要に迫られていたわけではなく、かえつて、司法警察員作成の昭和六一年一月二二日付「貯(預)貸率推移比較表作成について」と題する書面、Oの司法警察員に対する同月八日付供述調書、Pの司法警察員に対する昭和六〇年九月一〇日付供述調書によると、貯貸率が九〇パーセントを超えると資金が枯渇して危険な状態になること、他の信用金庫等の貯貸率が通常八〇パーセント前後、他の農協が三〇ないし四〇パーセントであるのに、市農協は当時九七パーセントと異状に高いことが認められ、これによると、被告人らは、当時資金が枯渇状態であるのに、無理を承知で敢えて被告人Cに本件貸付をしたことが認められるのである。以上の事実に、本件融資をする以前に被告人Cがいわゆる雀が宮宅造事業で世話になつたなどとして被告人Aに三二〇〇万円、Bに七〇〇万円の謝礼をしていること(これは被告人Aの司法警察員(昭和六一年二月三日付)及び検察官(同月一日付)に対する供述調書、被告人Bの検察官に対する同月五日付供述調書、被告人Cの検察官に対する同年一月二五日付、同月三一日付、同年二月一日付、同月三日付各供述調書、司法警察員作成の検証調書二通、司法警察員作成の同年二月三日付Cの引当り捜査報告書によつて認められる。)等前記の被告人らの交際状況を併せ考えると、本件の融資が被告人Cの利益を図る目的でなされたことを優に認めることができるものである。

なお、検察官は、訴因において、被告人Cに対する図利目的のほかに市農協に対する加害目的があつたことも掲げているが、市農協に損害を加えたことは認められるものの、これは被告人Cに対する図利の結果であつて、被告人らが市農協に損害を加える目的があつたことまで認めるに足りる証拠はない(かえつて、被告人A及び同Bは被告人Cに融資をすることによつて利益を挙げさせ、従前の未払債務の返済をさせるという僥倖を期待していた一面があつたことも否定しがたいところである。しかし、これは従的なものであつて、主として被告人Cの利益を図る目的で融資をしたことに変りはなく、犯罪の成否に影響を与えるものではない)。

二被告人らの任務違背性について

被告人及び弁護人らは、前記のように、市農協は都市型農協として他の金融機関と競業関係にあり、他の金融機関より劣位にあつたため、貸出金事務規程等は弾力的に運用せざるを得ない状況にあり、また、担保の徴求も宅造事業の場合は宅造予定地を担保に取る程度でそれ以上要求しないというのが従来の慣例であり、本件の融資もその慣例に従つたものであつて特別任務の違背はない旨主張するのでこの点について検討を加える。

市農協は、農業協同組合法による組合であり、同法に従うのは勿論であるところ、同法三一条の二によると、理事は法令、行政庁の処分、定款、規約、規程等を遵守し、組合のため忠実にその職務を遂行することを義務づけられており、これを受けて、市農協の定款三六条にも同様の規定がされており、組合員に資金を貸付ける場合は、農業協同組合財務処理基準令六条の貸付基準に従い、市農協の場合は理事会の決議に従つて組合員に対する貸付は五億五〇〇〇万円の限度とすべきであるのに、本件の宅造計画費一三億九〇〇万円の融資の申込みを受けて既に右貸付限度額を超えて五億八三五〇万円を貸出していること、また、市農協の貸出金事務規程三〇条によると、申込人の人物、能力、資産、負債の状況その他の信用状態及び将来性並びに組合との取引状況、申込金額の妥当性及び返済の確実性等に注意しこれを検討しなければならないのに、被告人らの司法警察員及び検察官に対する各供述調書等関係各証拠によると、被告人Cは約三八億円の負債をかかえて△△建設を倒産させ、また、本件融資決定の直前にも、姶良△△ハイツ宅造事業において六億円余を焦げつかせ、市農協として多大の損失を受けており、被告人らはその状況を知悉しながら本件融資をしたことが認められ、加えて、本件融資は前記の貸出金事務規程に違反して、収入のない被告人Cの妻や被告人Cの単なる従業員ら名義で五億八三五〇万円もの金員の貸付をしているものである。また、右貸出金事務規程二四条によると、不動産を担保に取る場合は、その公簿等の調査ばかりでなく、実地において調査をし、十分な担保であるか否かを判定し、これを担保に取つたうえで貸出すべきであるのに、被告人Bの検察官に対する昭和六一年二月六日付供述調書等関係各証拠によると、被告人Cは当初二八筆を担保に入れるということであつたが、これは、本件宅造計画の中心から外れた崖下の土地で担保価値の低いものであり、しかもこの土地についてすら貸付を実行するまで八筆程度が買収されただけで二〇筆はいまだに買収されていないという状況であつて、担保を徴求したといえるようなものではないのである。加えて、その後買収した土地の担保価値の評価においても、Nの検察官に対する昭和六一年一月八日付供述調書、Rの検察官に対する同月一四日付供述調書及び司法警察員作成の「担保物件評価推移表の作成について」と題する書面など関係各証拠によると、被告人Cが担保に提供した不動産は審査部においては当初評価できるようなものではないという見方をしていたものの、貸付を決定するや、何ら現状に変化がないのに、貸付金額に見合うように、昭和五七年一月一三日には坪五〇〇〇円と評価し、三か月後である同年四月一二日には坪二万七〇〇〇円、同月三〇日には坪三万七〇〇〇円、同年六月二五日には坪四万五〇〇〇円、昭和五八年一月二四日には坪四万八〇〇〇円、同年六月一三日には坪六万五〇〇〇円と実に一〇数倍にも増額していることが認められ、これは融資をするためにその都度辻褄を合わせるだけのものであつて、担保を徴求したといえるようなものではないのである。弁護人らは、従来の慣例を主張するが、被告人Aの司法警察員に対する昭和六一年一月二〇日付供述調書によると、従来いわゆる一二グループに対する貸付において、合計約五四〇億円の未回収債権があり、うち三一〇億円は回収見込みがないというものであつて、被告人A及び同Bは、正確な数字はともかく、これらの事情は知つていたものであり、また、証人Sの当公判廷における供述によると、この点については被告人Aらは県の農協指導官からも指摘されていたことが認められ、これらの事実を併せ考えると、本件融資においてはなおさらのこと慎重に対処すべきであつて、従来の慣例があることをもつて、重大な任務違背行為を正当化することはできないものである。

なお、被告人Aの検察官に対する昭和六一年二月一日付供述調書その他の関係各証拠によると、別表15の二〇〇〇万円の融資は、被告人Cが個人的に同Aを通じてTから借り受けた借金返済のためのものであつて、本件宅造事業とは関係がないのに、被告人Cが返済に窮するや、公私を混同して本件宅造事業資金の一環として貸付けているもので、その任務違背性はより明白となるものである。

三東高校下宅造事業の採算性

被告人Bの検察官に対する昭和六一年一月二九日付供述調書など関係各証拠によると、宅造予定地が北向きの急斜面であること、開発予定区域の下方に水源地があり、生活排水との絡みで開発許可条件が厳しくなり工事費が高額になること、開発区域への進入路として橋も必要であることなどから、採算性に疑問があるとして、現地を見てきた被告人Bが同Aに報告しており、また、昭和五六年一二月の市農協幹部の合議においても同様の結論が得られ、これについても本店長から被告人Aに報告されていることがそれぞれ認められるのである。また、前記のとおり、融資を開始した昭和五七年一月二一日の時点では、担保に入れる予定の二八筆の土地はほとんど買収されていないという状態であり、買収費用も未確定であつて、採算性には多大の疑問があつたものである。

これに対し、弁護人らは、昭和五六年八月ころ、○○自動車学校のF社長が事業主体となつて融資を受けたときは、有望としていたのに、被告人Cが事業主体となつた同年一二月には採算性がないというのは不自然であるし、また、大手の池田建設及び東急建設も採算性ありとして関与してきたのであるから、開発許可を得て事業を完成すれば十分に採算性がある旨主張するので、この点について検討する。

被告人Cの司法警察員に対する昭和六一年一月二七日付供述調書等関係各証拠によると、被告人Cが、前記F社長に働きかけたころは、自ら宅造事業をする計画ではなく、買収してこれを宅造業者に転売して利益を得ようというものであつて、宅造事業による採算性は直接には問題になつていなかつたものであり、また、事業主体のF社長が十分な担保を提供していたことから、市農協として貸付金の回収に不安がなく、融資することに問題がなかつたものである。また、池田建設など大手の建設会社は、土地買収はほぼ完了しているということで関与するようになつたが、実際には土地がほとんど買収されておらず、これに多額の費用がかかることを知り、右事業から手を引いているものであつて、池田建設等の関与をもつて採算性があるとすることはできず、かえつて、池田建設等の離脱は右事業の採算性に多大の疑問を抱かせるものである。

四宅造事業の拓南商工への継承と損害回復の見込み

被告人Bの司法警察員及び検察官に対する各供述調書、Uの検察官に対する各供述調書等関係各証拠によると、次の事実が認められる。即ち、本件融資は、これを開始して間もないころから、宅造予定地をほとんど買収していないことが明らかとなつて、その回収が危惧されていたが、これを中止すると損害が大きいということで融資は継続され、これと平行して、被告人Cの事業を拓南商工に肩代りさせることがすすめられた。拓南商工は右事業を行うために設立されたもので資金はなく、すべて市農協からの融資をあてにしていたものである。昭和五八年四月二八日には市農協、拓南商工、東急建設、東急トレーデングのいわゆる四者協定が行われ、市農協が融資をし、拓南商工が昭和五八年一一月末日までに開発許可を得て、東急建設が工事をするというものであつたが、結局、土地買収等に手間取つて、東急建設も離脱し、今日まで開発許可は得られていない状況である。

被告人Cから拓南商工に引き継ぐ際、被告人Cが取得していた三一筆の土地については、これを四億円と評価したが、これは引き継ぎを円満にし、開発許可を得るために形式的になされたものであつて、時価として評価したものではないのである。右三一筆の土地は被告人Cが買収した後何の変更もなく、市農協審査部においては、当初評価できるような土地ではないと見ていたものであり、その後融資をするために坪五〇〇〇円と評価したのであるが、右三一筆を坪五〇〇〇円として評価するとしても、合計で約四五〇〇万円に過ぎないものである。従つて、これを処分したとしても本件の五億八三五〇万円の損害の回復にはほど遠いものである。

五被告人Bの刑事責任について

被告人B及び同被告人の弁護人は、被告人Bには被告人Cの利益を図る目的はなく、また、被告人Aの背任行為を認容することもなかつた旨主張するのでこの点について検討する。

確かに、被告人Bは、前記のように、当初被告人Cに貸付けすることについては危険であり回収できないとして反対していたことはそのとおりであり、また、個人的立場からも被告人Cに貸付けることに反対であつたことも否定しがたいところである。しかしながら、関係各証拠によると、被告人Bは被告人Aから信頼されていたことから、上司である審査部長や常務理事を通さず、直接専務理事である被告人Aに相談し、被告人Aも直接被告人Bに指示するなどして業務を行つていたことが認られ、また、すべて被告人Aの指示に基づいて業務を行つていたわけではなく、特に不動産部門においては、ある程度その業務をまかされ自己の判断と責任において業務を行つていたことが認められ、現に、本件の貸付においても、貸付回数一七回中の三、四回目あたりである昭和五七年四月ころから、その危険を察知して自己の判断で貸付先を被告人Cから拓南商工へ肩替りさせることに着手していたものである(これは必ずしも被告人Aの意に副うものではない。)。このような被告人Bの当時の市農協における立場からすれば、被告人Aから融資する方向で検討するよう指示された際(たとえこれが融資手続をとるようにという指示であつたとしても)、被告人Aに対し、思い止まるよう説得すべきであり、またできたものと認められるのである。しかるに、被告人Bは、同Aが融資する意向であることを知るや、その後はその融資が危険であることを知りながら、これに迎合して、自らあるいは部下に指示するなどして直ちに貸付手続に着手しこれを実行したものである。被告人Bは、当時審査部次長として市農協において、貸出業務の指導並びに審査、貸出資金の統制、担保不動産の調査と評価(本部事務分掌基準)という重要な役割を果たしていたものであり、本件の貸付行為はその任務を果たす過程において行われたものであつて、右貸付が任務違背行為と評価される以上、被告人Bの行為は、その実行行為を分担したものといわざるを得ず、結局、被告人Aの意を体して被告人Cの利益を図るため本件貸付行為に及んだものと見ざるを得ないものである。被告人Bが当初融資に反対していたという事情はその責任の程度の問題である。

(法令の適用)

罰 条 包括して刑法六〇条、同法二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号(被告人三名、なお被告人Cにつきさらに刑法六五条一項)

刑種の選択 懲役刑(被告人三名)

刑の執行猶予 刑法二五条一項(被告人B及び同C)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(被告人三名)

(量刑の事情)

被告人らは、被告人Cの利益を図る目的で、共謀のうえ、被告人Cに対し、回収不能になることを知りながら、五億八三五〇万円を貸付け、市農協に対し、同額の損害を加えた、というものであるが、その経緯は、判示のとおり、被告人Cが約三八億円の負債を抱えて△△建設を倒産させ、また、市農協から融資を受けた姶良△△ハイツの宅造事業においても、六億円余を焦げつかせており、同被告人に融資をすれば回収が極めて困難であることを知りながら、同被告人の利益を図るため、敢えて融資をしたこと、また、市農協においては、いわゆる一二グループに対し、多額の融資をなし、五四〇億円余が未回収であり、うち三一〇億円余は回収不能の状況であつて、被告人A及び同Bは市農協の責任者として当然慎重に対処すべきであるのに、躊躇することなく、被告人Cに対し、その利益を図るため、五億八三五〇万円という多額の融資をしていること、この背景には、前記のとおり、被告人Aにおいて、被告人Cから他の宅造事業に関して世話になつたとして三二〇〇万円の謝礼を受け、あるいは韓国に旅行をした際旅費や博打の費用の一部の支払を受けるなど同被告人との癒着があること、被告人Bも同様に被告人Cから七〇〇万円の謝礼を受け、被告人Aに迎合して本件融資をしていること(被告人Bは右金額のうち三〇〇万円については被告人Aの女性問題処理のため費消し、他の二〇〇万円は被告人Cが被告人Aと飲酒して代金を支払わないと聞いてこれを被告人Aに届けており、結局、被告人Bの手元には二〇〇万円程度しか残つていない。なお、前者の三〇〇万円については多額であるのに被告人Bは同Aに請求しようともせず、同被告人も同Bに支払おうともしないというものであつて、同被告人らの親密な関係が窺えるものである)。また、本件もその一因となつて市農協の経営は破綻し、自主再建は不可能な状態に陥つており、多数の職員は解雇の危険に晒されていること、特に被告人Aは市農協においてその実権を一手に握つていたものであつて、本件が従前からなされていた多数の不良貸付の一部に過ぎないことを考慮すると、同被告人の責任は重大であること、それにもかかわらず同被告人は自己の責任を部下に転嫁して反省しようとする態度が見られず、また、被告人Bにおいても、自己の行為の重大さについて必ずしも十分に反省しているものとはいえないこと、加えて、被害弁償についてみるに、被告人Aにおいて、市農協の債務の担保として提供している貯金など合計二八〇〇万円及び土地建物(同被告人の評価によると九〇〇〇万円)を提供し、被告人Cにおいて本件宅造事業で取得した三一筆の土地に関する権利を市農協に提供しているが、これ以外には被害弁償がなされておらず(被告人Bは全く被害弁償をしていない)、被告人らにおいて被害弁償について十分に努力しているものとはいえないこと等の事情が認められ、これらの諸事情を考慮すると、被告人らの刑事責任は極めて重大であるといわざるを得ないものである。

他方、本件においては、被告人A及び同Bにおいて何ら利得がなく、当然のこととはいえ、長年勤めた市農協を去らなければならなくなつたこと、被告人Cにおいても前記のとおり本件で取得した不動産についての権利をすべて放棄していること、被告人Bにおいては、当初本件融資に反対していたものであり、また、その善し悪しはともかく、市農協の損失拡大を防止するため、本件の宅造事業を被告人Cから拓南商工に肩代りさせる努力をしていたものであつて、それなりに評価すべきであること、被告人Cの責任は、前記のように重大ではあるものの、同被告人は事業に失敗して多額の負債を抱え、債権者らから追われている際に市農協が担保を厳しく要求しないということを聞き知つて、被告人Aに取り入るようになつたものであつて、その点ではこれらの事情をすべて知りながら、敢えて融資をした被告人Aの責任が問われるべきでものであること、被告人Cは古い罰金の前科があるだけで他に前科がなく、被告人A及び同Bは前科がないこと等の有利に斟酌すべき事情も認められるが、被告人Aは本件の主犯であり、その犯情は前記のとおり極めて悪質であり、関係者らに与えた影響も深刻であつて、その刑事責任を軽視することは到底許されず、主文程度の刑を科するのはまことにやむを得ないものであり、また、他の被告人については前記の諸事情を考慮して、主文程度の刑を科し、その刑の執行を猶予することが相当であると認め、主文のとおり判決する。

(裁判官徳嶺弦良)

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